『PIXAR 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話』
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目次
プロローグ
第I部 夢の始まり
第1章 運命を変えた1本の電話
第2章 事業にならないけれど魔法のような才能
第3章 ピクサー派、スティーブ・ジョブズ派
第4章 ディズニーとの契約は悲惨だった
第5章 芸術的なことをコンピューターにやらせる
第6章 エンターテイメント企業のビジネスモデル
第7章 ピクサーの文化を守る
第Ⅱ部 熱狂的な成功
第8章 『トイ・ストーリー』の高すぎる目標
第9章 いつ株式を公開するか
第10章 ピクサーの夢のようなビジョンとリスク
第11章 投資銀行の絶対王者
第12章 映画がヒットするかというリスク
第13章 「クリエイティブだとしか言いようがありません」
第14章 すばらしいストーリーと新たなテクノロジー
第15章 ディズニー以外、できなかったこと
第16章 おもちゃに命が宿った
第17章 スティーブ・ジョブズ返り咲き
第Ⅲ部 高く飛びすぎた
第18章 一発屋にならないために
第19章 ディズニーとの再交渉はいましかない
第20章 ピクサーをブランドにしなければならない
第21章 対等な契約
第22章 社員にスポットライトを
第23章 ピクサーからアップルへ
第24章 ディズニーにゆだねる
第Ⅳ部 新世界へ
第25章 企業戦士から哲学者へ
第26章 スローダウンするとき
第27章 ピクサーの「中道」
終章 大きな変化
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プロローグ
映画であれほどの成功を収めたのを見ると、ピクサーはストーリーを語る芸術の理想郷として作られ、クリエイティブな炎がぱぁっと立ちのぼったのだろうと思うかもしれない。私が見たものは違う。むしろ、プレートのぶつかり合いで山脈が生まれる様子に近い。プレートの片方は、イノベーション圧の高まりだ。つまり、美術的・創造的にすばらしい物語を求める流れと、それを表現する新しい媒体であるコンピューターアニメーションの創出である。もう片方は、生き残らなければならないという現実世界のプレッシャーだ。具体的には資金の調達、映画チケットの販売、制作のペースアップなどである。このふたつの力が絶えずぶつかり合い、あちらでもこちらでも地震や余震が発生した。
ジョン・ラセターの言葉を紹介しよう──「きれいなグラフィックスを作れば人を数分は楽しませることができる。だが、人々を椅子から立てなくするのはストーリーなんだ」
第I部 夢の始まり
第1章 運命を変えた1本の電話
スティーブ・ジョブズはシリコンバレー随一の有名人だが、であればこそ、もう長いことヒット商品を出せていないことに目が行ってしまう。ヒットに見放されて本当に長いのだ。アップルで1985年に担当をすべて外される前にてがけていた製品ふたつ──Lisaと初代マッキントッシュ──は、いずれも商業的に大失敗しているし、ネクストのコンピューターも実用性より自己満足が優先された製品だと言う人が多い。技術的にはすばらしいとされたが、サン・マイクロシステムズやシリコングラフィックスのもっと安価で互換性の高いマシンに負けっ放しだ。過去の人になりつつあると言ってもいいだろう。
第2章 事業にならないけれど魔法のような才能
ジョンとエドを前にそこまでのことを思い返していたら、ある想いがわき上がってきた。このふたりは、商業的な成功や称賛がないに等しい状態で、リーダーとして何年も作品に打ち込んできた。彼らは勝つ。勝つ側の人間だ。いつ、どこで、どのようになのかはわからないが、それだけはまちがいない。いつか、必ず、勝つ。そう確信したのだ。
抱いている疑いをどこまでスティーブにうち明けるべきか、私は迷っていた。彼の物言いからすると、お誘いはかかりそうだ。それを受けるかどうかは別問題として、彼の出鼻をくじきたくはない。だが、なにも言わずにすますわけにはいかなかった。
「ピクサーの事業について、まだよくわからないところがあります。製品も技術もチームも、みんなすばらしいと思います。でも、どうやって事業を成長させるのかが見えないのです」
「それをこれから考えるのさ。ピクサーにはすごい才能が集まっていて、だれも目にしたことがないものを作っている。これをネタに事業を興すんだ。そのためには、きみが適任だとぼくは思っている。そのあたりは会って話さないか?」
第3章 ピクサー派、スティーブ・ジョブズ派
みな、温かく迎えてくれ、「歓迎しますよ。困ったことがあったら言ってください」みたいなことをあちこちで言われた。ただ、どうもしっくりこないものがある。みな、愛想もよければ礼儀正しくもあるのだが、なんとなく距離を置かれている気がするのだ。最高財務責任者を得たのに盛りあがらないというか、受け入れの努力もあまりないように感じる。お昼を一緒にという誘いもあまりないし、カレンダーの予定もぜんぜん増えない。別に鳴り物入りの大歓迎を期待していたわけではないが、これはさすがに平常運転にすぎるだろう。前回の転職時、私のカレンダーはすぐに予定でいっぱいになった。私に早くなじんでほしいとみなが思ってくれたからだ。だがピクサーでは、警戒されているように感じる。なぜだろう。
「販売価格はどのくらい?」
「約3000ドルですね」
ざっと計算してみた。売れる年には、千本くらい売れる。1本3000ドルとすれば全部で300万ドルだ。毎週オーナーがポケットマネーで経費を補填している会社にとってこれは大金である。だが、成長と株式公開を狙うには、はした金と言わざるをえない。ちょっとやそっと増えたくらいではだめ。せめてこの 10 倍は売れてくれないと困る。
結局、レンダーマンは、年によって多少上下しつつ、いまぐらいの状態を保てれば御の字というところだろう。実は、前の会社でも似たようなことを経験している。画期的なイメージ処理ソフトウェアを開発し、業界で賞も獲得したが、発売してみたら市場が想定よりずっと小さかったのだ。事業を打ち切るようCEOのエフィを説得するのは私の役目だった。同じことをピクサーでもしなければならないのだろうか。レンダーマンはアカデミー賞を獲得した業界トップのソフトウェアかもしれないが、戦略的に考えれば、道楽のレベルであって事業として成立し得ないと言うしかない。
「あの手のソフトウェアではレンダーマンが一番かもしれませんが、やり方はほかにもいろいろとあります。技術的には劣るやり方ですが、でも、選択肢ではあるのです。そして、コンピューターアニメーションによる特殊効果の制作予算は限られています。スティーブン・スピルバーグが『ジュラシック・パーク』の恐竜を描くとか、ジェームス・キャメロンが『ターミネーター』でサイボーグを描くとかは例外で、普通なら、品質が下がってもよしということになるのです」
スティーブは結論に飛んだ。
「レンダーマンを売るのは止めろと言いたいのかい?」
「かもしれません」
「気になっているのは手間です。顧客のサポートに優秀なエンジニアの手が取られています。彼らにはほかの仕事をしてもらったほうがいいかもしれません」
レンダーマンは社内専用とし、販売と顧客サポートに投入している多大な労力を節約したらどうかというのが私の考えだった。
「レンダーマンをどうしようと、成長戦略や株式公開にはまったく影響しません」
スティーブは納得してくれたようだ。
映像アニメーション業界
「この業界は、どこも、ぎりぎりでやっています。実際問題として赤字のところが多いのです。ピクサーは高く評価されているし作品も気に入ってもらっているので信頼はされていますが、高いという問題があります。アニメーションは最高だけれど、値段が高すぎて受注できないことが多いのです」 つまり、価格の引き上げも受注量の増大もちょっと考えられない。残念なことだとダーラはため息をつく。
コマーシャルアニメーションの売上は小さく、利益はないに等しい。収支にはっきり貢献するには、事業規模も相当に拡大しなければならないし、収益性も大きく高めなければならない。だが、話を聞いたかぎりでは、いずれも無理だとしか思えない。ここでも、将来性のない事業に人材を投入しているわけだ。おかげで才能ある人々が忙しく働くことはできているが、会社の成長戦略としては、コマーシャルアニメーションも袋小路である。 レンダーマンもコマーシャルアニメーションもだめとなると、成長を実現できる選択肢はかなり限られてしまう。心配だ。
なかでも『ティン・トイ』は、アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞に輝いた逸品である。
だが、問題がひとつだけあった。お金にならないのだ。短編アニメーションは愛情から制作されるか、ピクサーのように、技術や物語構築のプロセスを試し、開発するために制作されるものだからだ。展示会や映画祭で上映されたり、場合によっては映画館で本編の前に上映されたりするが、お金は一銭も入らない。なのに制作費はすさまじくかさむ。経済性を分析するまでもない。市場そのものがないのだ。
「ピクサーは謎な会社だよ。あれほどの才能が集まっているのは見たことがない。しかも、みな、すさまじく努力している。なのに、やることなすこと、失敗か、将来の展望が得られないものばかりで、努力に見合うものがない。必死で走っているのに前に進めていないんだ」
第4章 ディズニーとの契約は悲惨だった
ここまで調べてきたピクサー事業は、いずれも、過去の経験からそれなりに理解することができた。だが、『トイ・ストーリー』はどうにもならない。とにかくわからないことだらけである。ピクサーも、コンピューターアニメーション映画を公開した経験がない。いや、そういう経験をしたところなど世の中どこを探してもない。その市場を予想する術もない。 90 分のコンピューターアニメーションを人々が気に入るか否かも判断のしようがない。私が映画産業にうといこともあった。
「ふと気づいたんだけどね? この2カ月、スティーブといろいろな話をしたけど、彼が反発したり言い訳に走ったりしたこと、ないんだよね。あれもだめ、これもだめと僕はピクサーの事業をこき下ろしたわけで、その一つひとつに彼から反論があってしかるべきなんだ。でも、彼はそうしなかった。一度も、だ。まるで、僕と一緒に学び、ふたりで前に進んでいるように感じるよ」
「あなたが不信感を抱くようなことをしていないわけね」
ヒラリーがまとめてくれた。
「これはふたりの問題よ。だから、ふたりで解決しなきゃ」
たしかに。大変な状況だが、ふたり一緒であることもまちがいのない事実である。大事なのは、次の一手をどう指すか、だ。
第5章 芸術的なことをコンピューターにやらせる
ピクサーが作っているのはコンピューターアニメーションである。カメラは使わない。フィルムも使わない。すべて、スクリーン上の画像という形で作る。だが、映画館で上映するときはフィルムを映写機にかけなければならない。つまり、コンピューターで作った画像をセルロイドのフィルムに移さなければ上映できない。だから、コンピューターの画像をフィルムに移す機械をデービッドたちが開発しているわけだ。私が初めてピクサーを訪れたときに見た不思議な機械がそれだ。暗室に設置された撮影機械は、金属製の平らなテーブルに顕微鏡のお化けのようなものが乗った形をしている。この機械で、完成したコンピューター画像を1枚ずつ撮影し、フィルムに落としていくのだ。 デービッドと私は、巨大なマシンが鎮座するうす暗い部屋で話を続けた。
「つまり、この1台で『トイ・ストーリー』の絵 10 万枚以上をフィルムに撮影しなければならない?」
「しかも、最初から最後まで、正しい順番で、正しい色とトーンで撮影しなければならない?」
「そういうことです」
「そして、機械はこれ1台しかない? これが壊れたり部品がおかしくなったりしても、予備はない?」
「はい、そのとおりです。この機械は世界にこれ1台しかありません。部品はもう1台分ほど用意してありますが、予備機の製作は特に進めていません。けっこう時間がかかりますから」
「制作中にこの機械が壊れたらどうなるんです?」
こうしていろいろ調べた結果、ピクサーがやろうとしていることの難しさがだんだんわかってきた。『トイ・ストーリー』の制作は、新しい映画を作るという単純な話ではなかった。エベレストに世界で初めて登頂する、月に初めて足跡を残すなどに匹敵する難事業なのだ。ここまで芸術的なことをコンピューターにやらせるのは世界初。ピクサーには、最終的な画像の生成用だけでパワフルなワークステーションが百台以上も用意されている。それでも、絵1枚の生成に 45 分から 30 時間ほどもかかる。そういう絵を 11 万4000枚ほども生成しなければならない。そんな前人未到の領域にたったひとりで挑んでおり、遠くの雲の向こうに目的地の頂上がようやく見えはじめた──それがピクサーの現状だ。このあと、空気がどこまで薄くなるのかだれもわかっていない。とてもじゃないが、ピクサーを支える資金が得られるような環境と言えない。
『トイ・ストーリー』にまつわる課題がわかればわかるほど、ピクサー前進の足がかりがどこにあるのかわからなくなっていく。
『トイ・ストーリー』完成に向けて会社が努力しているあいだ、私は、その公開でどのくらいのお金が得られるのかを把握しようと努力していた。契約から概算すればだいたいのところはわかるが、それは推測にすぎない。アニメーション映画が事業戦略になるのかどうかを考えるためには、収益構造をきっちり理解する必要がある。問いそのものはシンプルだ。映画はどこから収益を得るもので、その収益はだれの懐に入るのか、だ。言い換えれば、映画館で売られたチケットとポップコーンの代金はだれの収入なのか、だ。映画館か? 配給会社か? 制作会社か? こんな基本的なこともわからないのでは、最高財務責任者を名乗る資格などない。
『トイ・ストーリー』のエンドクレジットには「プロダクション・ベービーズ」という項目がある。ここに並んでいる名前は、映画制作中に生まれたピクサー社員の子どもである。次女ジェンナの名前も記載されている。こんなうれしいことはない。
第6章 エンターテイメント企業のビジネスモデル
ビジョンが得られない理由に、事業そのものをスティーブも私もよくわかっていないことがある。エンターテイメントは素人なのだ。まず、学ばなければならない。これはスティーブもよくわかっていた。株式公開の手続きに早く入りたいと焦っていても、情報収集が先決であることは理解しているのだ。我々はエンターテイメント事業についていろいろと調べ、学んだことを教えあい、少しずつ、その全容を明らかにしていった。
私はディズニーという会社の資料を読みあさった。そして、ディズニーとピクサーには驚くほど似た点がたくさんあることに気づいた。
ウォルト・ディズニーは、小さいころから新聞漫画を描いていた。第1次世界大戦中はフランスで傷病兵の輸送などに従事し、帰国後、アニメーションにめぐりあう。そしてその世界に没頭していくのだが、信じられないことに、参入が遅すぎた、成長の余地はもうないと悔やんでいたそうだ。だが、結局、創造性の面でも技術面でも新機軸でこの世界を広げ、みずからチャンスを生みだしていった。いまのピクサーにそっくりだ。
そして1928年、ディズニーは、アニメーションの将来を大きく変える白黒アニメを公開する。『蒸気船ウィリー』というふたつの面で画期的な映画である。ひとつは、ミッキーマウスの登場だ。もうひとつは、映像と音声が同期していて話に入りやすい点だ。
ミッキーがヒットした後、ディズニーは、アニメーション映画を指向する。そして、いろいろと苦労した結果、1937年に公開されたのが『白雪姫』だ。ストーリー、キャラクター、色、音、そして、深みとさまざまな面で画期的な映画である。この映画に登場した7人のこびとは、アメリカ文化の象徴的な存在になった。
いい面以外にも、ディズニーとピクサーには似たところがたくさんある。ピクサーと同じようにディズニーも、長年、資金的に苦しい状況にあった。『白雪姫』の製作費用は、ウォルト・ディズニーが自宅を抵当に借りたり、危ない銀行融資に頼ったりして捻出している。映画は大成功でかなりの儲けも得られたが、それは一時のことで、また苦しい状況になってしまう。アニメーションは当てにならない事業だとして、ディズニーは多角化を進めた。
道がどれほど険しくても、山頂がどれほど遠くても、この山を登るしかない。重い気持ちをひきずり、登り始める以外にないのだ。
第7章 ピクサーの文化を守る
足がかりがようやく得られたわけだ。ストックオプションがまとまれば、ピクサーは前に進める。ただ、これで賭けがすごく大きくなってしまったと言える。いつの日か、オプションが十分な価値を持つようにしなければならない。小さな成功ではだれも喜ばないのだ。大成功だ。大成功を狙うしか道はない。
第Ⅱ部 熱狂的な成功
第8章 『トイ・ストーリー』の高すぎる目標
話を戻そう。秋口になり、『トイ・ストーリー』公開に向けてマーケティングキャンペーンを盛り上げようと準備が進められていた。
「配給会社のマーケティングは時代遅れだ」
スティーブの声にいらいらがにじむ。
「うるさいだけの予告編に安っぽいビルボード広告。我々ならもっとうまくやれるはずだ」
どうマーケティングするのかはとても大事だ。『トイ・ストーリー』はファミリーエンターテイメントであり、小さな子どもだけではなく、家族全員に見てもらいたいとピクサーは考えていた。なのに、小さな子どもがいる家庭のみを狙ってマーケティングを展開されたのでは、映画を見る人が大きく制限されてしまう。公開週末の興行成績が最終的な興行成績を左右するほど大事であることは我々も勉強してわかっていた。つまり、子ども向け、ティーンエイジャー向け、大人向けとさまざまな予告編がなければいけないし、そういう人たちが見たがる映画で予告編を流さなければならない。広告キャンペーンの規模も重要だ。
おもちゃなど関連グッズの取り扱いも残念な状況だった。スタートが遅く、見送ることにしたメーカーが多かったのだ。マーケティングを順調に進めたい──そう考えたスティーブは、自分がマーケティングの窓口になると言い、予告編についても電話でディズニーに改善を申し入れた。
このころ私自身は、事業計画の仕上げに注力していた。サラ・スタッフとふたり、いろいろな数字を出し、さまざまな角度から検討してみたが、なにをどう見ても根本的な問題が変わることはなかった。ピクサーが自立するためには、どんな基準で考えてもありえないほどの成功を収めなければならないのだ。
対して、1億5000万ドル以上の興行成績をコンスタントにたたき出すのは前代未聞というのが現実である。だれも達成したことがないのだ。1937年の『白雪姫』以来、ディズニーはたくさんのアニメーション映画を公開してきたが、そのうち、国内の興行成績が1億5000万ドルを超えたのは2本だけ──2億1700万ドルをたたき出した1992年の『アラジン』と3億1300万ドルという記録を打ち立てた1994年の『ライオン・キング』だけなのだ。『アラジン』と『ライオン・キング』をのぞくと、平均が1億ドルを下まわってしまう。
そう、ディズニーアニメーションでさえもそうなのだ。世界の隅々までその名が響きわたっているブランドでさえも。ほかの会社のものも含むアニメーション全体の平均はもっとずっと低くなる。というか、公開時に5000万ドルを大きく超える興行成績をあげたアニメーション映画は、ディズニー以外どこも出せていない。
その現実を覆し、新登場で実績のないコンピューターアニメーションで目標とする成功を収めることなどできるのか。アニメーションスタジオとして独り立ちするのに必要な興行成績は、前例がないという程度のレベルではなく、ありえないレベルだと言わざるをえないだろう。
第9章 いつ株式を公開するか
「投資家は賢いよ? 型破りなビジネスモデルの経験だってあるし」
そのとおりだ。問題はその経験がいいものじゃないって点だ。前の会社エレクトロニクス・フォー・イメージングのIPOで学んだのだが、投資家というのは確実性と安定性を好み、逆に、いつなにが起きるのかわからないことを最も嫌う。そして、ピクサーの将来について確かなことや安定していることなどなにもない。映画の興行成績は予測不可能だし、映画の公開スケジュールは、控えめに言っても当てにならない。『トイ・ストーリー』の次は、早くて3年後なのだ。業績予想など、まっとうにできるはずがない。型破りなビジネスモデルだから投資家に受け入れてもらえないとまでは言わないが、それがプラスに働くとは思えい。
私はずっと法律と経営を仕事にしてきたわけだが、その経験から、IPOほど難しく、リスクが大きいものはないと思っている。戦略、財政状態、法律、市場環境がぴったりかみ合う奇跡のようなことが起きないと実現できない。IPOというのは、大昔から難しいと言われているのだ。ちなみに、その起源は400年近く前、なんと、ナツメグにさかのぼる。
株が売買できるようにと、近代的な株式市場を初めて作ったのもオランダ東インド会社だ(アムステルダム証券取引所である)。ここでオランダ東インド会社の株を買い、その船が戻ってくるのを待ってくれというわけだ。
オランダ東インド会社を例に考えてみよう。船団が数カ月後に戻ってくるとき、異国のスパイスを山のように積んでいるか、それとも、積み荷をすべて海賊に奪われているかをあらかじめ知る術はない。それこそ、海賊の被害にあったと会社側は知っていても、それを知らない人に高値で会社の株を買ってもらおうとその情報を伏せておくといったことも考えられる。いま、インサイダー取引と呼ばれているもので、これは香辛料貿易の時代からあるのだ。
オランダ東インド会社の株が公開されたあと、しばらくは、株取引にまつわるスキャンダルや不正で経済全体が揺らぐことはなかった。お金に余裕のある一部の人しか投資などできなかったからだ。だが、1920年代、状況が根本的に変わる。
第1次世界大戦後の好景気により、米国では中産階級が増え、株式投資がかつてない規模で普及した。そのため、1929年の大暴落とその後の経済的混乱は広い範囲で猛威を振るう結果となり、何百万人もの国民が大きな痛手をこうむった。国全体が何年も深刻な不況に見舞われたのだ。このようなことの再発を防ぐため、米国議会は、広く国民から資金を集めたいと考える会社を規制する法律を制定。そして、米証券取引委員会(SEC)が目を光らせるようになった。株式を公開しようとするピクサーも、この法律に従わなければならないわけだ。
いまの証券法では、意思決定に必要な正しい情報が等しく与えられていることを条件に、投資の意思決定は投資家がみずから下すものとされている。知る者と知らざる者がいる世界は終わった。株式を公開したいのなら、ピクサーは、その事業を詳しく記述し、公開しなければならない。株式公開企業はすべてがガラス張り。なにも隠せない。なにも、だ。事業の細かな点にいたるまで、いつ果てるともしれない質問に耐えなければならない。
第10章 ピクサーの夢のようなビジョンとリスク
ラリー・ソンシニは、私が前に勤めていたウィルソン・ソンシニ・グッドリッチ・アンド・ロサティ法律事務所のマネージングパートナーである。シリコンバレーでは伝説的な人物で、そう言われるのも当然な実績を持つ。シリコンバレーにおけるスタートアップやIPOの権威であり、ほとんどと言っていいくらい多くの有名スタートアップが、IPOやその後の展開で彼のアドバイスを受けている。彼を法務顧問としている著名CEOや取締役も多い。シリコンバレーの法律顧問と言われて真っ先に名前が挙がるのがラリーなのだ。 スタートアップの立ち上げと同じような表現で法律事務所の運営方針を語ってくれたことがある──「我々のミッションはシンプルだ。世界一の法的サポートをシリコンバレーの会社に提供する。彼らが遠くまで手を伸ばす必要がなくなるように、だ」と。 このような目標のもと、ラリーはサービスの質を高めていき、ついには、世界一と言われるところにも引けを取らない、場合によっては上回るところまで到達した。そして、シリコンバレーの成長とともに法律事務所も成長した。株式を公開するつもりなら、ラリーに相談するのが一番だ。
第11章 投資銀行の絶対王者
第12章 映画がヒットするかというリスク
第13章 「クリエイティブだとしか言いようがありません」
第14章 すばらしいストーリーと新たなテクノロジー
投資銀行が決まった後
>幸運はまだまだ必要だ。IPOを実現するのは、投資銀行をみつけることなど比較にならないほど難しい。これから、銀行といやになるほど打ち合わせを重ね、ピクサーの歴史や財務情報、事業計画などを細かく細かく詰めていかなければならないのだ。証券法関連についても、弁護士や会計士にくり返し、くり返し、細かな点までチェックしてもらう必要がある。ピクサーをどう評価するのか、株式の価格をいくらに設定するのか、公開のタイミングはいつにするのかなどもじっくり検討しなければならない。
>なかでも大変なのは、IPO全体を左右する文書、すなわち目論見書の作成である。目論見書とは微に入り細にわたる法的書類で、SECに提出するとともに投資家にも配布する。ピクサーの事業をあらゆる側面から定性的・定量的に記述して公開するための文書であり、投資家が知っておくべきリスクが何ページにもわたってえんえん書かれてもいる。ピクサーの歴史からビジョン、事業計画、技術、アニメーションや制作の進め方、市場における競争、リスク、役員、取締役、株主、ストックオプション、その他数えきれないほどのこまごまとしたことまで、ピクサーという会社を理解するために必要なことをこと細かに書かなければならない。ちょっとした本1冊分くらいの分量になるし、投資銀行の人間や弁護士と何週間も、何晩も会議室に詰めて文言を調整する必要がある。SECからコメントが返ってくれば、詳しく回答する必要もある。その過程で、投資銀行や弁護士、会計士、SECのどこか1カ所からでもダメ出しされれば、株式は公開できない。
第15章 ディズニー以外、できなかったこと
すごい製品の誕生は意外なほど時間がかかるものだとスティーブから聞いたことがある。どこからともなく登場するように見えるが、その裏には、開発、試験、やり直しなどの長期にわたるくり返しが隠れているのだ、と。そのいい例がピクサーだ。『トイ・ストーリー』の誕生に向けた動きは、 16 年前、ルーカスフィルムのコンピューターグラフィックス部門であったころまでさかのぼることができる。以来、ずっと、奮闘努力の日々だった。
ディズニー以外の成績は悲惨だ。ユニバーサルの『アメリカ物語』(1986年)と『リトルフットの大冒険 ~謎の恐竜大陸~』(1988年)、ティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993年)の3本が5000万ドル前後を達成したにすぎない。過去5年間、大手スタジオや有名な独立系スタジオが公開したアニメーション映画は 21 本あるが、ディズニーの大ヒット4作以外の 17 作を平均すると北米興行収入は1400万ドル以下にとどまっている。公開週末の興行収入ではなく、最終的な北米興行収入の数字でこれなのだ。ことアニメーションに関するかぎり、過去 50 年、ディズニー以外はまるで勝負になっていないと言える。ピクサーは、なにを達成できればこれほど厳しい環境で勝利したと宣言できるのだろうか。
『トイ・ストーリー』が5000万ドルを達成できれば、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』に匹敵する成果だと誇ることができる。
「『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』並みならいいんじゃないですか? あのくらい人気になれば、だれにも後ろ指は指されませんよ」
「ティム・バートンはいい仕事をするよな。5000万は悪くない。でも、1億の大台に乗れば世界が変わるはずなんだ」
最終的な北米興行収入が1億ドル以上となるには、公開週末の興行収入は1500万ドルから2000万ドル必要だ。過去5年間に公開されたアニメーション映画の平均は、ディズニーの大ヒット4作をのぞくと300万ドルも行かない。どこからどう見ても無理がありすぎる目標だ」
第16章 おもちゃに命が宿った
プレミアショー(試写会)
さすがはディズニーで完璧だ。さらに、高速道路脇やバス停、バス側面など国中いたるところにポスターとビルボード広告が展開された。ピクサー社員も、みな、近所にビルボード広告が出て以来、何週間も、大興奮状態だ。ビルボード広告では、『トイ・ストーリー』のキャラクターがフルカラーで描かれた横に「おもちゃが帰ってきた」という大きく真っ黒な文字が躍っていた。個々のキャラクターを取りあげたポスターもあった。たとえば、恐竜のレックスが「ぼくはナーバス・レックスだ!」と言っているものや、ウッディが「ひもを強く引くんじゃない!」と言っているものなどだ。ポスターの一番下には、「 11 月 22 日に動き出す」とあった。この映画のことを知らずにいられる人はいなくなりつつあった。
ほどなくみなが席につき、照明が落ちると、場内がしんとなった。そして、コンピューターアニメーションの世界が生き生きと動き出すのをじっと待った。そう、本当に生き生きと動くのだ。
映画が始まると、我々は、ここで単に映画を見ているのではなく、映画の歴史に1ページが書き加えられる瞬間を見ているのだと感じた。私は絵コンテも見ているし、ラフアニメーションも、光の処理がまだできていないシーンも見ている。だが、歌やサウンドトラックが添えられ、きれいな色に仕上げられた完成形は別物だった。すばらしい。シドが改造したおもちゃの完成形も、このとき初めて見たのだが、彼らが助けてくれようとしているのだとウッディとバズが気づいたシーンはこみ上げてくるものがあった。ふたりがシドの家から逃げだすのを彼らが手伝うシーンもすごくよかった。また、ウッディとバズがロケットで飛ぶシーンでは、思わず、心の中で歓声を上げてしまった。映画のシーンとしてすばらしかったのもあるが、ほんの数カ月前には技術的に不可能だと思われていたシーンができていたのに感動したのだ。
映画が終わり、エンドクレジットが流れていくあいだ、館内は拍手と歓声でいっぱいだった。明るくなると、あちこちから興奮した声が聞こえてくる。
第17章 スティーブ・ジョブズ返り咲き
もう 10 時半に近い。結果がいつ入ってきてもおかしくない時間だ。1000万ドルなら十分だ──自分に言い聞かせる。もちろん、1500万ドル以上ならこんなうれしいことはないのだが。 「やきもきするわね」
20 分後、電話が鳴った。飛びつく。
「はい、はい。そうか。わかった。ありがとう。うん、詳細はFAXでよろしく」
電話を切る。信じられない思いだ。
「結果は?」
ヒラリーに催促される。
「すごい。ものすごい。信じられないレベルだ。週末の興行収入は3000万近くに達するとディズニーは予想している。金曜日夜だけで1150万くらいいったらしい。
売り出し価格が決まった。
二日後の 11 月 29 日水曜日、スティーブ、エド、私の3人はロバートソン・スティーブンスのサンフランシスコ事務所でコンピューターをのぞき込んでいた。 30 分ほど前の午前6時 30 分、NASDAQ市場がオープンした。株式公開の準備はすべて整っている。銘柄コードはPIXRだ。ロバートソン・スティーブンスからは、トッド・カーター、マイク・マキャフリー、ブライアン・ビーン、ケン・フィッツィモンズが顔をそろえていた。フィッツィモンズは、実際に株式を投資家に渡す担当者である。取引がスムーズに始まるようにするのが仕事だ。NASDAQはニューヨーク株式市場などと違い、物理的な市場が存在しない。取引開始を告げる鐘の音はなく、コンピュータースクリーン上に銘柄コードが表示されるだけである。
午前7時すぎ、ピクサーの株式600万株が1株 22 ドルで売りに出された。この瞬間、欲しい人はだれでもピクサー株を買えるようになったわけだ。
トッド・カーターが叫ぶように言う。
銘柄コードのPIXRが示されている。目の前のスクリーンにだ。ピクサーは株式公開会社となったのだ。
事前の割り当てを受けた投資家は 22 ドルで買えたわけだが、実際の取引が始まれば話は別だ。値段は、すぐ、 30 ドル台の後半まではね上がった。買い意欲があまりに強いのだ。
その様子を我々はじっと見ていた。喜び半分、信じられない思い半分で。
この沈黙を破ったのはトッド・カーターだった。スティーブに声をかける。
「おめでとうございます、スティーブ。ビリオネアになりましたね」
取引初日の終値は 39 ドルだった。つまり、ピクサーという会社の市場価値は 15 億ドル弱。
ピクサーの株式が公開された日、帰宅しようとピクサーの駐車場に向かう私を見た人がいたら、きっとそこには、ほとんどスキップしているような男の姿があったに違いない。信じられないという思いと浮き立つ気分、どちらが大きいのかよくわからない。ここまで1年間、とにかく目の前にあることをなんとかしようともがいてきた。1ミリでも2ミリでもいいから前に進めようとしてきた。
それでもやろうとなったのは私がいたから、だったらしい。私は自分たちと同じようにリスクを見ているはず、また、ピクサーを評価する際、私がかなりの影響力を発揮するはずと信じてくれたのだそうだ。スティーブがネクストに手を取られる分は私がなんとかしてくれるだろうとも思ってくれたらしい。背中がこそばゆくなるほどの賛辞だが、それでも、ピクサーを担ごうとロバートソン・スティーブンスが決断してくれたこと、ハリウッドで大成功するほうに自社の信用を賭けるという危ない橋を渡ってくれたこと、しかも、最初の映画さえ公開されていない状態でそこまでしてくれたことには、いくら感謝してもしすぎることはないと思う。
コミットメントコミティーが反対の決断を下していたら、すべてはまったく違う展開を見せていたはずだ。1995年のIPOは時間切れで不可能となり、必要な資金を調達できる可能性はかぎりなくゼロに近づいたことだろう。ピクサーの命運はごく細い糸にぶら下がっていたわけだ。 第Ⅲ部 高く飛びすぎた
第18章 一発屋にならないために
ブレイントラストとも呼ばれるストーリーチームは、ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン、ピート・ドクター、ジョー・ランフトという構成である。『トイ・ストーリー』の編集を担当したリー・アンクリッチも一翼を担っている。彼らの貢献なくして『トイ・ストーリー』の完成はあり得なかったし、彼らには今後の制作でも重要な役割を演じてもらわなければならない。ジョンがすごいのは、すばらしい映画が作れるだけでなく、そのような才能を見いだし、開花させる力を持っているところだ。だから、スティーブやエド、私はストーリーチームを「ジョン・ラセターのアニメーション監督学校」と呼んだりするのだ。 会社のスケーリング
18 カ月に1本というのも考えられないではなかった。年に2回ある大作の公開タイミングに合わせ、夏の次は翌年の冬に公開するという具合だ。ただし、経営関連の数字は年1本ほどいいものとはならない。その分、大きなヒットを飛ばす必要があるし、失敗の痛手は大きくなる。だが、 18 カ月に1本ならぎりぎり話のつじつまが合う。これしか落としどころはなかった。
18 カ月に1本を制作するためにはどうすればいいのか話し合った結果、会社の規模を3倍から4倍以上にしなければならないことが判明した。問題は、人材をどこでみつけるか、だ。ピクサーで必要なレベルの美的才能やアニメーションの才能、技術を持つ人材など、簡単にみつかるはずがない。倍増でさえ不可能に近い。ワールドシリーズで戦える野球チームをふたつか三つ、なにもないところから作りあげるくらい大変なことだろう。しかるべき人材をみつけ、採用できるスカウトの仕組みが必要だ。
私は、レイチェル・ハンナを迎えいれ、採用の責任者にすえた。回りを上手に巻き込むレイチェルは、アニメーション、技術、美術の分野で優秀な人材を世界中から集めるシステムを作ってくれた。新たに採用した人を戦力化する研修制度も必要だ。そのため、エドの発案により、ピクサー・ユニバーシティを創設することとして、初代校長にランディ・ネルソンを迎えた。エドとランディが協力して、新人を含む社員研修の仕組みを作りあげたのだ。ピクサー・ユニバーシティは、単なる職業訓練の場ではなく、ピクサーのクリエイティブな深みと力量に磨きをかけ、不滅なものにする美術教育制度である。
クリエイティブの暗財務黒サイド
しかも、このような承認は制作のさまざまな段階でくり返し行わなければならない。クリエイティブなビジョンは完成形で生まれてくるわけではない。進化し、二転三転し、よろよろと完成形にいたるのだ。映画1本で必要な4000枚もの絵コンテは、いずれも、5回から6回は描き直しになるのが普通だ。それをだれが承認するのか。1億ドル近い投資家のお金をつぎ込もうという話なのだ。責任の取れる体制で進めなければならない。
ディズニーにはクリエイティブな決断を下す仕組みがしっかりと用意されている。承認は、ジェフリー・カッツェンバーグやピーター・シュナイダー、トム・シューマッハといった幹部の仕事である。監督は、彼ら幹部に従う存在であり、幹部の承認なしではなにも進められないに等しい。
クリエイティブな面の失敗は修正にとんでもない費用がかかったりするのだ。たとえば、制作が進んだ段階でストーリーやキャラクターに大きな変更を加えれば、映画のあちらにもこちらにも細かな影響が出てしまう。そうなると、すぐ、数百万ドルとか下手すれば数千万ドルもの費用がかかってしまう。経営幹部としては、そんなリスクなど取れない、クリエイティブなプロセスを自分の監視下に置きたいと考えるわけだ。エンターテイメント会社がクリエイティブ面でリスクを取りたがらないのはなぜだろうと思っていたが、その理由がようやくわかってきた気がする。経営的な判断から、クリエイティブな面の冒険は避け、安全策に走りがちなわけだ。
「みなさんの心配はわかります。本当です。でも、我々は、無難な映画など作りたくないのです。我々としては、ストーリーやアニメーションの限界を突破するような作品を今後も作り続けたい。ウチのストーリーチームは特別です。ビジョンもすばらしいし懐も深い。その力を信じるべきです」
「カッツェンバーグのような作り方はしません。我々には、オリジナルのすばらしいストーリーがあります。オリジナルな作品はめったにありません。我々はそういう作品を作るのです。そうでなければなりません」
私は話を転換することにした。
「では、クリエイティブ面の決定はどのように進めるべきだと思います?」
「心の奥からしみ出してくるような映画にしなければなりません。単なるエンターテイメントではなく。観客が感情移入できるストーリーにしなければならないのです。そのためには、親近感を覚える映画にしなければなりません。監督にとっても意味のあるものにしなければならないのです」
熱弁だ。強い信念が感じられる。感動的なほどだ。琴線に触れるとはこういうことを言うのだろう。
「ストーリーチームを信じる必要があります。また、我々が信じていると彼らに信じてもらう必要もあります」
「つまり、リスクなど無視してウチのクリエイティブな人材に賭けろ、ということか」
スティーブだ。
「そのとおりです。無理を言っているのはわかっています。でも、そうすべきだと私は思うのです」
ジョンの意見ももっともだと感じられた。
この点について、ある週末、スティーブと話し合う機会があった。
「それこそ、我々がすごい映画を作るやり方なんじゃないのか?」
スティーブだ。
「映画を制作する者の心を大事にするんだ。なにが悲しくて、そこに横やりを入れさせるんだ? 考えるべきはクリエイティブなビジョンであって、締め切りや予算じゃないだろう」
もうひとつ、ジョンが「私に賭けてくれ」と言わず、「我々のチームに賭けてくれ、我々のやり方に賭けてくれ」と言っていたのも大事な点だ。ピクサーのやり方を支えているのは、 忌憚 のない意見の応酬であり、自尊心を棚上げしてその意見に耳を傾ける強い意志である。そのあたりを考えると、私のなかにあるスタートアップ魂がチームに賭けろとささやいてくる。それがシリコンバレー流の映画製作だろう。リスクヘッジなんぞくそ食らえ。イノベーションに賭ける。すごいものに賭ける。そして、世界を変えるのだ。
「ハリウッド流でやる必要はないと思います。私も同感です」
「というわけで、ジョンとそのチームを信頼したい。彼らに賭けるんだ」
スティーブが宣言し、エドと私が賛成した。
「わかりました」
「それが正しいと思います」
この決定により、今後、クリエイティブな判断は、すべて、ジョン、アンドリュー、ピート、ジョー、およびそのチームに任せられることになった。スティーブ、エド、私は、映画の内容に口をはさまない、クリエイティブ面について我々の承認は不要となったわけだ。恋に落ちるロボットの無声映画を作りたいなどとジョンらが考えたとしても、我々はとやかく言わない。制作半ばで主人公を変更したいと彼らが考えたら、我々はそれを支持する。我々は場外からさまざまな形で見守り、応援し、支援し、成長をうながすが、クリエイティブな判断に介入することはない。
ピクサーの映画は、いずれも、クリエイティブ面でぞっとするような危機を何度も乗りこえて完成にいたっている。クリエイティブなエクセレンスというのは、失敗という名の崖っぷちで踊るようなもの、安全という名の誘惑にあらがう戦いのようなものだ。勝利にいたる近道などない。公式もない。確立された道筋などない。ぎりぎりの判断がくり返し求められるのだ。
第19章 ディズニーとの再交渉はいましかない
第20章 ピクサーをブランドにしなければならない
「こんなの、もう耐えられん!」
爆発した。
交渉は、どちらかのトップががまんの限界となり、流れてしまうことがある。
この会議に臨むにあたり、私は中立だった。譲れないポイントであることは重々承知しているが、プライドだけで突っ走るのはまずい。道理も大事だが、騎士を気取るわけにはいかない。なんだかんだ言っても、まだ1本しか作れていないのだ。その状態で経済的な要求はすべて飲ませることに成功したというのに、半世紀以上で唯一、アニメーションのブランドとして家庭に浸透することに成功した会社がブランドとして対等な扱いをしてくれないからと交渉の席を蹴るのか。映画の収益が4倍になるなら、株主もブランドがどうとか気にしないのではないかと思わないではない。
だが、道理を優先すべきときは存在するし、いまがそうなのかもしれないとも思う。ブランドでディズニーに譲歩すれば、胸を張れなくなる。自分たちがしていることに誇りが持てなくなったらピクサーはおしまいだ。ここがピクサー文化の中核だからだ。功績をどこかのだれかに横取りされたとはらわたが煮えくり返る思いをしつつ、すごい映画を作れるはずがない。うん、そうだ。無理だ。
第21章 対等な契約
ブランドについても要求を飲むなら、その対価がなにか必要なはずだと思ったのだ。
「ピクサー株を買う権利が欲しいそうだ。ピクサーのブランド構築にディズニーが一役買うならその利益を手にする権利がなければおかしい、ピクサーの一部を持てるなら、ブランド面で譲歩する大義名分になる、と」
「すばらしい!」
思わず叫んでしまった。完璧だ。アイズナーは、やはり、アニメーションを大事に思っていたのだ。ピクサーについても大事に思ってくれている。株を買おうという気になるくらいに。すごいことだ。
第22章 社員にスポットライトを
大物狙い
スティーブはすごい。その戦略と忍耐力は獲物を狙うレパードもかくやと思うほどだ。狙うは大物。大手雑誌の特集記事だ。小さな扱いの記事は断って大物を待つ。スティーブは、タイム誌、ニューズウィーク誌などに記事を書いている知り合いの記者に声をかけていった。最終的に選んだのは、フォーチュン誌シリコンバレーオフィスのブレント・シュレンダーだ。やる気が一番感じられたらしい。
現実湾曲空間
また、大きなストーリーを編み上げる力がすさまじく、自分自身に対しても同じようにその力を適用する。スティーブのところで仕事をするなら縁の下の力持ちに徹するつもりでなければならない。世間的に功績を認めてもらえる話にはあまりならないのだ。個人的にはそれでいいのだが、今回は会社全体が陰に入った感じなのが気になってしまった。社員の貢献に小さなスポットライトを当てるチャンスをみつけたとき、なりふり構わず突っこんだのは、そういう思いがあったからだろう。
第23章 ピクサーからアップルへ
「よくわからん。でもやってみることはできる。給料はもらわないつもりだ。ぼくの考えを伝え、なにをしなければならないのかを考えてみるいい機会にはなると思う」
そうか、スティーブはもう決心してるんだ。アップルが復活できるか否かはスティーブにもわからない。アップルに戻り、死に体の会社を救えなかった責任を取らされるのだけは避けたい。給料をもらわないというのは「金を払ってないんだから、会社がこけても文句は言わないでくれ」と言うようなものだ。復活に成功すれば、報酬などあとからどうにでもなる。どっちに転んでも大丈夫なシナリオである。
第24章 ディズニーにゆだねる
第Ⅳ部 新世界へ
第25章 企業戦士から哲学者へ
第26章 スローダウンするとき
第27章 ピクサーの「中道」
終章 大きな変化